YOSHITAKE

米軍基地で3ヶ月暮らしたのは、
私ダケ。

エンジニアリング事業本部

海外営業

米軍基地で3ヶ月暮らしたのは、
私ダケ。

エンジニアリング事業本部

海外営業
大手では、自分がいなくても会社は変わらなかった。
新卒で大手自動車メーカーへ就職しましたが、数万人の従業員がいる中で、自分がいてもいなくても全く会社に影響がないと感じてしまいました。「いてもいなくても一緒」という環境の中であと40年も働けるとは思えなかった。ヨシタケは面接で私の海外暮らしの経験を認めてくれて、海外営業に配属すると言ってくれました。嬉しかったですね。メーカーにこだわったのは、やっぱり製品をつくる人、そして製品そのものに愛着が湧くから。「頑張って売ろう」と思えるからですね。現在の仕事は、海外での販路開拓。つまり、ヨシタケのバルブを世界中に広めることです。各国の状況をリサーチし「どの国に、どう売っていくか」という戦略を考えるところからやっています。たとえば、バングラディシュのお客様の多くはもともとインドやミャンマーからバルブを買っていました。そこに乗り込み、ヨシタケの製品の良さをアピールし、300万円だった売上を5000万円にすることができました。海外で自分が関わった製品を見るとグッときますね。これぞ、メーカーの醍醐味です。
10年で担当した国、10カ国以上。
もっとも印象に残っている仕事は、米軍基地で使われるバルブをまるごと受注したことですね。米軍基地ではシャワーやトイレを蒸気で動かすので、その制御に必要なバルブにヨシタケの製品が採用されました。私は、米軍担当者の通訳と調整役を任されつつ、バルブの運用が安定するまでの約3ヶ月間を米軍基地で暮らすという希少な経験をしました。こんな経験、ヨシタケのなかでも私だけですね。ヨシタケの営業は、売りたいところに売っていけるので、刺激的な経験がしたい人にはオススメです。行きたい国があるならば、戦略を考え、売れる算段を立てればいい。私の場合、行きたい国が多すぎて、入社10年で担当した国は10カ国を超えました。
全員が主役になれる。
ヨシタケは、バスケと同じです。
働き方は人それぞれだと思いますが、私の場合、仕事とプライベートはしっかり分けています。ですが、オンとオフというよりは、どちらもオン。平日は仕事のことだけ、休みの日は仕事を忘れて遊びだけに集中。小学校から大学まで続けたバスケットボールは、社会人になった現在でも続けていて、土日の予定はほぼ全て試合で埋まっています。バスケのような少人数の団体競技は、それぞれのポジションに役割が定められていますが、試合展開が早い分、その役割も常に変化。そして、チームの誰もが主役になり得る。その面白さは、ヨシタケの環境に通じるものがあると感じますね。